ベチバーはお客様の「天然の消臭剤」が欲しいとの依頼で両親が始めた。
そんなハーブを捜していた父はテレビでベチバーが研究されていることをたまたま知る。
その会社が近くだったこともあり、すぐ伺って話を聞くと材料が余っていて困っているとのことで販路を分けることでベチバー消臭液を作る承諾を戴く。
その日から12年、初めは大鍋で煮だしたベチバーの液体の上澄みを採って詰めていたり、様々な用途や使い分けを試行錯誤しながら何も無いところから始めた車用の天然消臭液だった。
それが5年前の豪雨で九州北部災害の後、親戚の玉露や米を作っていた高木農園も大打撃を受けた。何か役に立てるのでは・・・と弟はベチバーの研究をしていた愛知の知多半島の方を訪ね、そこに農地の土壌流出を止める目的と土の改良で試験的に植栽を試みる。
私はその頃、愛知県に住んで主婦でバッチフラワーのプラクティショナーとハーバルセラピストとして植物療法の活動を始めていた。
その頃の住まいは岐阜と隣り合わせの一宮で岐阜県各務原にはエーザイ株式会社の敷地に「内藤記念くすり博物館付属薬用植物園」がある。
弟の訪ねた知多の方とのご縁で逸見元館長がベチバーのお話しをして下さったり、インドネシアを訪ねるようにご紹介下さった。ボタニカルアートの教室を開催される素敵な紳士だった。
植物を実際に触れながら、たまには食しながら教えて下さる方でとても愉しく貴重なご自身の薬草との出会いや深めた経緯などを聴かせて頂いた。戦争中、戦後にかけて学んだ植物学が礎と言われていたが、今思えば牧野富太郎先生の様に植物愛の溢れる方だった。
その頃ハーバルセラピストだったので逸見先生やそのお弟子さん達にご教授頂き、協会の見学会などでも訪れ有意義な時間を過ごせた。
ベチバーの商品開発のアドバイザーとしてベチバーと関わるようになると内藤くすり記念館にあるハーブ園に『ベチバー』が植えられていると知り、驚いたしワクワクしたのを思い出す。雪の間の過ごし方など、逸見先生に尋ねたりしてインドネシアでの生息している様子やそちらでの研究者に繋ぐので尋ねる様にお手紙を頂いたりもした。結局そのごお会いできないままになってしまったがとても思い出深い師の一人である。
九州福岡県の実家のある有限会社フローラ美工では、その間に国の認定で農商工の支援を受ける事が決まり、弟の依頼で消臭液のマーケティングとベチバー関連のリポート作成兼ねて中小機構などの支援で参加。
香港の展示会でアジアでの消臭事情を調べる為に展示会へ参加してモニタリングした。
その際に初対面でたまたま立ち寄って1時間以上じっくり話されたインドの僧侶と言われた方。今はニューヨークの国連支局で働く大塚さんに同時通訳してもらったのだがその通訳のお陰で、理解を深められたことに今でも感謝が溢れる。「ベチバーの文化を知りなさい。消臭だけにつかうものではないのです・・・」その頃の私達にはチンプンカンプンに近い状態だったが後に大きく影響する有難いお話しだった。
つづく・・・
Sa no Sa→ http://sanosa-japan.com